こんにちは。たけじゅん@ぴっかぶーです。
さて、前回の「ママと一緒に遊びながら記憶力をあげよう」はいかがだったでしょう。
しりとり、トランプなどのアナログゲームは偉大です。
デジタルゲームも、実は触らせない。ではなく、適切な使い方ができたら与えてもいいと思います。
なぜなら、世の中がデジタルな世の中になってきているから。
もしかしたら、ゲーム開発者になれるかもしれないし、もっとすごいデジタルの世界になるかもしれない。
今後どうなるかわからないですからね。
でも、いずれにしても「ダラダラやり続ける」はよくないことは確かです。
なので、その前のレッスンのように、スケジュール管理をしっかりして、その中で思いっきり「楽しむ」。これがメリハリのある、切り替えのできる生活を送れるようになる土台です。
なにごとも「しっかり考えてスケジュールを立てる」。大切なことです。
さて、今回のレッスンは「考える力を手に入れ、自分にアレンジできるようにする」です。
これは、子どもだけに限った話ではありません。大人の私にも、あなたにも、大切なお話です。
さぁ~始まりますよ。
箱根駅伝花の2区を走り3度優勝した人に会ってきた
先日、ライターの仕事で「野菜を作る人」の取材をしてきました。
私が担当したのは「佐藤慎悟さん(37)」。
私の住む、栃木県宇都宮市で水耕栽培をしている人です。
しかし、その経歴がすごい。
駒澤大学在学中の4年間、箱根駅伝に出場。1、2年生の時は3区を走り、3,4年生で花の2区を走ったランナーです。そして、佐藤さんが1年生~3年生の時、なんと駒澤大学は優勝しているのです。
さらに、卒業後もマラソンで有名な「日清食品」でフルマラソン選手として活躍。そんな経歴の人が、なぜ、宇都宮で水耕栽培をしているのか。取材しました。
取材する前に、佐藤さんについていろいろと調べていたところ、私が最初に見つけた「サニーライン株式会社」という水耕栽培の会社の他に、「就労継続支援A型事業所 たすき」を運営する「株式会社たすき」という会社も経営していました。さらに、「株式会社ホットライナー」という運送会社も経営しています。
なんと、3つの会社を経営している凄腕経営者だったのです。
中学までは、県の代表にも入れなかった
早速、アポを取るべく電話しました。
今は、ホットライナーにほとんどいるので、そちらに来てもらえますか?
と、快い返事をいただき、ホット―ライナーに約束の日時にう向かいました。
シュッとした締まった小柄のからだ。まさにランナーという感じの方です。そこで、いろいろとお話をお聞きしました。
ここ(ホットライナー)は、もともと父の会社なんですよ。なので、私はこの芳賀町で育ちました。
芳賀町というのは、宇都宮市の東側にある、自動車メーカー本田技研の研究所や工場のあるところ。工業団地以外のところは農地が広がっています。
中学の頃は、県で4位ぐらいという、代表枠の3位までにいつも入れないランナーでした。全国大会に出場できるようになったのは、中学3年生の時からです。この時に初めて栃木県で1位をとって全国大会に出場できたんです。それでも全国大会は予選落ちでした。
と話してくれました。その後、県内の作新学院高校に進学(水泳の萩野公介選手の母校)。陸上部に入ったそうです。
そこで、とった佐藤さんの行動がすごかった!!
全国で速い選手に練習方法を聞きまくった!
作新学院大学は、特に駅伝が速い高校ではありません。そこで、佐藤さんは全国大会で知り合った速い選手たちに練習方法を聞きまくったそうです。
そして、いろいろな練習方法を教えてもらいましたが、その中で共通点を見つけたといいます。
それは、「とにかく長い距離を走る!」
ここまで聞いて、私は勝手に
すごいな。速い選手に練習方法を聞き出して、自分もその練習方法をやったのか。積極的だな。
と、思っていました。すると佐藤さんが
みんな、「長い距離をとにかく走る」と言っているので、ならば、ボクは違うことをしようと思ったんですよ。だって、みんなと同じことしていたら、追い抜けないと思ったから。
目からうろこです!!驚きました。
そうとらえるか!そうきたか!!まさに逆転の発想だったわけです。
そう気づいたので、では何をやるか。考えたんですよ。長く走ったって、いいってもんじゃないです。1万メートルの試合に出るのに、2万メートルをただ走ってもムダなんです。だって速度が出ないじゃないですか。だから、ボクは、短い距離でいかに自分の速力を極限まで引き出せるか、という練習方法をとったんです。
マラソン選手なのに、ダッシュを練習したそうです。瞬発力を鍛えて、仕掛けるときに無駄なくスパートできる練習に切り替えた。ということです。そしてその練習方法が佐藤さんにうまく作用し、大学では1年生から箱根駅伝に出場できる選手となり、さらに花の2区を任され、優勝に貢献しているのです!
これを高校生の時に、考え、行動し、実践して、結果を出す。すごいことだと思いました。
自分に合わせて変化させることが大切
私たちは、得てして、「すごいことをやっている人の行動をそのまま自分でもやってみて、やってみたらうまくいかなくてやめてしまう」ということをしがちです。
思い当たることありませんか?私なんて思い当たりまくりです。
もちろん、お手本の真似をするのは、上達の秘訣です。だけど、マニュアル通りにやっていって、同じようにうまくいくのでしょうか。
佐藤さんの場合は、勝負の世界なので、ほかの人を追い抜いて勝利をつかまなくてはなりません。だから、「ほかの人がやっていない、効率の良い方法」を自分で編み出しています。
しかし、なかなかそれは難しいことです。なので、とりあえず「上手にできている人の真似をする」から始めてもいいと思います。というか、それの方がやりやすいし、とりかかりやすいので。
そこからが問題です!そのやり方は「その人に合っているやり方」であって、「自分にパーフェクトのやり方」ではないはずです。
そこからです。考えるのは!
やってみて、合わない部分、「自分にはこうやるより、こっちの方がやりやすいな」と思うような部分をみつけだし、「なら自分にはどうやったら結果が出やすいのか?」を考え、実践してみる。
ちょっと違うな?と思ったら、軌道修正する。そういうことが大切なんだと思います。
佐藤さんは、その思考を高校生の時に身に付け、ランナー時代に育て上げ、今経営者としてフルに発揮している。と私は感じました。
お話をお聞きしたら、家庭環境も、その思考を育てるような環境だったと感じました。
レールを敷くのではなく、自分で考える教育をしていた
引退後、佐藤さんは「実家の運送業を引き継ごう」と栃木県に帰ってきました。その時に、社長であるお父様は会長職へ退き、佐藤さんが社長となったのです。
すごいなと思ったのは、
自分のやりたい会社を作ってみたらいいんじゃないか?
と言ったそうなんです。普通、自分が作り上げた会社を息子が継ぐときに、やり方を伝授して、それを継承していくように口を出す。というのが当たり前というか、普通だと思いますが、事業を渡して早々に、息子のやりたいことをやらせる。なかなかできないと思うんです。
おそらく、想像ですが、子どものころからそうやって育ててきていたのではないでしょうか。私がそのあたりをつついてみたら、佐藤さん自身はお父様に言われたことを不思議に思っていなかった、という感じでした。
なら、「体と食」についての会社を作ろう!液肥(液状の肥料)の入れ方次第で、高機能、高カルシウム、高マグネシウム、低カリウムの野菜が作れる水耕栽培がいい!
と、すぐに勉強を始めたわけですよ。
これって、高校生の時から「考え、自分に合わせてアレンジする」が身についているからすぐに行動に移せたのではないでしょうか。
そして、水耕栽培をやるうえで、「福祉と農業の融合」をしたい。と、就労継続支援A型事業所までも立ち上げてしまいます。
「サニーライン」の従業員で、水耕栽培を育て、「A型事業所たすき」には、栽培補助や、収穫や梱包などの作業を委託し、「ホットライナー」で運送する。という、水耕栽培の流れをすべて経営してしまっています。
そして、県内のスーパーのみならず、「クアアイナ」という全国展開のハンバーガーショップ全店舗でサニーラインのレタスなどの葉物野菜を使っているというすごい手腕なのです。
考え、自分に合わせてアレンジする
思考は、その人なりのクセがあります。そのクセをうまく利用することで、考えたものを自分に合わせてアレンジすることができるようになるのではないでしょうか。
もちろん、今日やったから、明日から自分にうまく落とし込めた!なんてことはないと思います。
それでも、毎日、毎日、考え、自分を見つめなおし、自分を客観視できるようになったら、自分なりのアレンジを加えることができるようになっていくはずです。
本当に小さなことから、始められます。そして、それが無意識にできるようになった時、すごい力を発揮できるのではないかな?と思います。
おそらく、みなさんちょっとしたことでアレンジを加えているはずです。考えてみてください。
私は、バスケットボールを小学校の時から、社会人までずーっと続けていました。もちろん、佐藤さんのような華やかな経歴はありません。しかし、本当に長年やってこられたのです。しかも私は小学生の時から、今でも背がとても低く、手がとても小さい。
バスケットボールといえば背が高い人かがやるもの。ボールを片手でつかめるような人が有利。という認識です。パスを教えてもらうときにも、「両手でボールをしっかりつかんで…」というような感じです。
だけど、私の手ではしっかりつかめないのです。そこで編み出した方法は、「両手にボールをのせる」でした。それで20年ぐらいバスケットボールを続けられ、しかもいつでもキャプテン、スターティングメンバーだったのです。
私のバスケット生活については、note↓を見ていただくと詳しく書いてあります。
おそらく、そういうこと。皆さんにもあると思います。
ちょっと、思い出してノートに書いてみてください。そして、それがどんなことだったのか、その後それがどのような方向に進んでいったのか、思い出してみてください。
それが、子どもを育てるときの接し方に良い影響を与える!と、私は思っています。
ということで、今日はここまで!
また次回をお楽しみに♡